4.28と沖縄の現状に対する声明 

沖縄 100人委員会

2014年04月28日 18:24

4.28と沖縄の現状に対する声明          

 

昨年4月28日、日本の「主権回復の日」として政府主催の式典が東京で開かれた。対日平和条約第3条によって、沖縄・奄美を切り離しただけでなく、沖縄・奄美を米国の軍事統治下に置くことを許したのである。日本の主権を回復するのであれば、背に腹はかえられないとの思いはあったとしても、沖縄分離に対して慙愧の念を抱いていたなら、この日を祝うのはお門違いもはなはだしい。しかも、対日平和条約第6条では発効後90日以内に占領軍が撤退しなければならないことを定めていたにもかかわらず、日米安保条約の同時発効によって、米軍中心の占領軍は一度も撤退せず、在日米軍と名前を変えて60年以上経つ現在も駐留し続けている。二律背反する「撤退」と「駐留」を2つの条約で約束させられたことは、それこそ「屈辱」そのもののはずである。たとえ政治的意図があったにせよ、これらの対日平和条約や沖縄分離、安保条約のいきさつを知らずに、「主権回復の日」として式典を開催した為政者は、4.28の「屈辱」の意味を深く考えるべきである。

自らの意思に反することを強い力によって無理やり服従させられ、辱めを受けることを「屈辱」というなら、日米両政府は沖縄にどれだけの「屈辱」を与え続けているであろうか。1996年4月12日、5年から7年以内に普天間を返還するとの日米合意が発表された。あれから18年が経つ。約束どおり履行していれば、沖国大米軍ヘリ墜落事故はなかった!悔やみきれない「屈辱」である。返還するといわれて、それ以上の基地を無理やり押し付けて、受け入れないほうが悪いというのは世界の常識からかけ離れている。「撤退」と「駐留」と同様に二律背反する「返還」と「県内移設」を、今度はひとかけらも「屈辱」を感じない日本政府が特に強行しようとして沖縄に大きな「屈辱」を与えている。

昨年の「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」では万人の県民が集い、声を上げた。それ以降沖縄にもたらされた状況は、5月28日に国頭村沖に米軍F15戦闘機が墜落したことに始まる。6月には沖縄市サッカー場で枯葉剤製造会社のドラム缶が発見されダイオキシンが検出された。8月3日から、県民の反対にもかかわらず、オスプレイの追加配備が開始された。5日に宜野座村キャンプハンセン内へ米軍ヘリが墜落炎上したことから、しばらく配備を控えていたが、配備再開後9月末には完了して24機体制となった。11月には、県選出与党国会議員が県内移設反対の公約を撤回し、辺野古移設容認に転じた。与党幹部の強い力に服従させられ、唇をかみながら「屈辱」の表情を見せる者もいたが、「屈辱」を微塵も感じない変身振りを見せた者もいた。さらに立て続けに与党沖縄県連も県内移設容認に転換した。極めつけは、年末、県内移設反対の姿勢を評価して支えた県民の声も多かった県知事の裏切り、埋立て承認である。「屈辱の日」を知るはずの県知事から県民が「屈辱」を受けるとは、この上ない「屈辱」といえる

今年に入っても、名護市長選で辺野古移設反対を訴える稲嶺氏が当選し、民意が明確になったにもかかわらず、国は辺野古埋立てを強行して「屈辱」を与えようとしている。高江ヘリパッド建設強行然り、与那国への自衛隊配備強行然り、現在の沖縄が受けているものは、平和を脅かし、人間の尊厳をおとしめる「屈辱」以外の何ものでもない。

                                         2014年4月28日

                                                                                      沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会

 

顧問:大城立裕  大田昌秀  由井晶子

共同代表:安里英子 石原昌家 内海=宮城恵美子  上里賢一

     高良沙哉  高良鉄美  照屋寛之  比屋根照夫