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12日に乗松聡子さんをはじめ、ピーター・カズニック氏、ジョセフ・ガーソン氏の来沖に合わせた学生シンポが沖国大でありますことと翌13日の名護でのシンポの成功を期して、戦略的交流会を12日の18:00より、沖国大と長田交差点と間にあるワイン食堂 ALAKAKIで開催します。
会費3000円で予定しています。まだ参加の意向を示されていない方はご連絡ください。貸し切りのため、人数的に余 裕がありますが、料理の量的な面もあってお店のほうからは人数をお知らせくださいとのことです。ワイン、カクテル、ソフトドリンク等飲み放題、創作イタリア料理付です。 まだ人数余裕ありますので、11日夕方までに高良宛お知らせください。友人等の参加も可能です。
高良鉄美
4.28と沖縄の現状に対する声明
昨年4月28日、日本の「主権回復の日」として政府主催の式典が東京で開かれた。対日平和条約第3条によって、沖縄・奄美を切り離しただけでなく、沖縄・奄美を米国の軍事統治下に置くことを許したのである。日本の主権を回復するのであれば、背に腹はかえられないとの思いはあったとしても、沖縄分離に対して慙愧の念を抱いていたなら、この日を祝うのはお門違いもはなはだしい。しかも、対日平和条約第6条では発効後90日以内に占領軍が撤退しなければならないことを定めていたにもかかわらず、日米安保条約の同時発効によって、米軍中心の占領軍は一度も撤退せず、在日米軍と名前を変えて60年以上経つ現在も駐留し続けている。二律背反する「撤退」と「駐留」を2つの条約で約束させられたことは、それこそ「屈辱」そのもののはずである。たとえ政治的意図があったにせよ、これらの対日平和条約や沖縄分離、安保条約のいきさつを知らずに、「主権回復の日」として式典を開催した為政者は、4.28の「屈辱」の意味を深く考えるべきである。
自らの意思に反することを強い力によって無理やり服従させられ、辱めを受けることを「屈辱」というなら、日米両政府は沖縄にどれだけの「屈辱」を与え続けているであろうか。1996年4月12日、5年から7年以内に普天間を返還するとの日米合意が発表された。あれから18年が経つ。約束どおり履行していれば、沖国大米軍ヘリ墜落事故はなかった!悔やみきれない「屈辱」である。返還するといわれて、それ以上の基地を無理やり押し付けて、受け入れないほうが悪いというのは世界の常識からかけ離れている。「撤退」と「駐留」と同様に二律背反する「返還」と「県内移設」を、今度はひとかけらも「屈辱」を感じない日本政府が特に強行しようとして沖縄に大きな「屈辱」を与えている。
昨年の「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」では万人の県民が集い、声を上げた。それ以降沖縄にもたらされた状況は、5月28日に国頭村沖に米軍F15戦闘機が墜落したことに始まる。6月には沖縄市サッカー場で枯葉剤製造会社のドラム缶が発見されダイオキシンが検出された。8月3日から、県民の反対にもかかわらず、オスプレイの追加配備が開始された。5日に宜野座村キャンプハンセン内へ米軍ヘリが墜落炎上したことから、しばらく配備を控えていたが、配備再開後9月末には完了して24機体制となった。11月には、県選出与党国会議員が県内移設反対の公約を撤回し、辺野古移設容認に転じた。与党幹部の強い力に服従させられ、唇をかみながら「屈辱」の表情を見せる者もいたが、「屈辱」を微塵も感じない変身振りを見せた者もいた。さらに立て続けに与党沖縄県連も県内移設容認に転換した。極めつけは、年末、県内移設反対の姿勢を評価して支えた県民の声も多かった県知事の裏切り、埋立て承認である。「屈辱の日」を知るはずの県知事から県民が「屈辱」を受けるとは、この上ない「屈辱」といえる
今年に入っても、名護市長選で辺野古移設反対を訴える稲嶺氏が当選し、民意が明確になったにもかかわらず、国は辺野古埋立てを強行して「屈辱」を与えようとしている。高江ヘリパッド建設強行然り、与那国への自衛隊配備強行然り、現在の沖縄が受けているものは、平和を脅かし、人間の尊厳をおとしめる「屈辱」以外の何ものでもない。
2014年4月28日
沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会
顧問:大城立裕 大田昌秀 由井晶子
共同代表:安里英子 石原昌家 内海=宮城恵美子 上里賢一
高良沙哉 高良鉄美 照屋寛之 比屋根照夫
与那国島の自衛隊新基地建設に反対する声明
2014年4月19日、与那国島に陸上自衛隊基地建設に向けた起工式が開かれた。自衛隊の新基地建設だ。自民党安倍政権は、自衛隊の国防軍化を目指している。しかも、集団的自衛権の行使も認めようとしている。それは常に海外で戦争をしてきているアメリカの戦闘に参加することになる。皇国日本の軍隊が、海外で数多くの人びとを殺戮してきた悪夢のような歴史の道に再び踏み込もうとしている。尖閣諸島問題をめぐって、中国との間で沖縄戦再来前夜のような緊張が続いているさなか、国境の島・与那国島への自衛隊基地の新設は、国体護持の捨石作戦で多くの住民に被害をもたらした痛哭の歴史の二の舞になりかねない。
2010年、日本政府は、防衛大綱に「島嶼防衛」(沖縄の宮古郡・八重山郡への自衛隊配備)を盛り込み、辺野古新基地建設とを併せて、沖縄全域の軍事要塞化を目論んできた。それは尖閣諸島での対中関係の緊張によって好機到来とばかりに、沖縄県海域での「離島奪還を想定した日米合同軍事演習」を企み、その軍事演習が矢継ぎ早に実施されてきた。しかも、陸上自衛隊の一部海兵隊化も狙っている。このような状況であればこそ、私たちは、過ぎし時代を思い返したい。
1972年5月15日に「日本復帰」した沖縄へ、自衛隊が配備されることになった。そのとき、自衛隊=旧日本軍と捉えた沖縄住民は、沖縄への自衛隊配備に猛烈な反対運動を展開した。その運動の激しさは、「自治体での自衛官募集業務協力拒否」、「自衛隊員の住民登録拒否」、「自衛隊員、家族の民間アパート入居拒否」などと、今日では想像できないほど激しい拒絶意識のもとに取り組まれていった。それは、1972年5月のNHKの沖縄住民意識調査の結果によると、自衛隊の沖縄配備に「反対」41%、「どちらかといえば反対」20%と、有権者の61%が反対の意思を表明していたので、住民世論の総意と言っても過言ではなかった。
また、その14年前の1958年1月18日、沖縄タイムス紙に沖縄青年連合会理事会が、「去る12月末突如として問題化した自衛隊募集の件について、われわれ沖縄青年連合会3万5千人会員並び8万青年は、次の理由を挙げて絶対に反対するものである。」と「自衛隊募集に反対」と意見広告を出している。
その理由として次の主な点をあげ、声明を発表している、「自衛隊は名称はどうであろうともまがいのない軍隊である。この事は国会に於いて憲法を改悪してまで軍備を合法化しようとしている事からも明らかである。」「最近本土に於いては自衛隊希望者が募集人員にも達せずその為に沖縄に目をつけたという事は、われわれに対する侮辱である。」「世界平和に対するわれわれの考え方は力の均衡による平和ではなしに、立場の相違や考え方の差を越えてあらゆる民族の共存を尊重することであり、国連軍縮委員会に於いて目下真剣に検討されていることも、段階的な軍縮でなければならず、究極に於いて一切の軍備を廃止することであり、このことのみが原水爆の脅威より人類の滅亡を救い、永遠の平和と繁栄を達成する只一つの残された道である。」「『もう二度と絶対に戦争は繰り返さない』と固く誓ったわれわれ沖縄県民は、全人類の先頭に立って世界平和を絶叫する立場にあり、再軍備に結びつき、戦争につながる自衛隊募集には絶対に反対し、全勢力を挙げて粉砕する事を声明する。」
この声明文を発表した沖縄青年たちは、現在、80歳前後であろう。私たちは、過ぎし時代の沖縄住民の自衛隊に対する意思を思い起こし、自衛隊新基地の建設に強く反対する。
2014年4月27日
沖縄の平和創造と人間の尊厳回復を求める100人委員会
顧問:大城立裕 大田昌秀 由井晶子
共同代表:安里英子 石原昌家 内海=宮城恵美子 上里賢一
高良沙哉 高良鉄美 照屋寛之 比屋根照夫